歴史〈信長政治,秀吉性格〉
問い:
織田信長の政治について。
信長は①を築城。①は②層③重、つまり、④階建ての城。また後付けだが、本格的な⑤(エジプトのピラミッドと一緒で、権力を表す。天下人の気分を味わうシンボルでもある)がある。
⑥をつくるため、自分の領土の農村に住んでいた家来を住ませる⑦を建設。→⑧の下準備
⑨(営業税の免除)によって、室町時代からの⑩は廃止される。営業税がないので
→「安土の城下町行けば、あんまりお金使わんでいいんだ、イイね!」
→人が集まる
→住民が「信長さんありがとう」と募金(投資)する
→信長の領地が広がる
→みんな幸せ!
⑪の廃止。通行料無しでOK!→⑫が活発になる。
⑬の保護。宣教師の養成機関として、現在の大学のような⑭、中学校や高等学校のような⑮、また、教会として⑯を建設した。
信長の所に直接、⑬の布教を願い出たのは葡人の⑰さん。信長はその懸命さに惹かれ、布教を許可した。
葡、西人のことは差別用語で⑱、
英、蘭(⑬が禁止された後、葡西英の三国を倒して日本の出島で「⑬は広めませんから!」という約束のもと貿易をする)人とことは差別用語で⑲(⑬は悪魔みたい!目はカラーだし、話が高い、怖い!)という。
手紙の最後に、⑳という印。❶(現在でいうサイン)の隣に⑳を押した。「かかってこいや!」スタンプ。『天下に武を布(し)く』。
答え:
①安土城
②五
③七
④7
⑤天守閣
⑥常備軍
⑦城下町
⑧兵農分離
⑨楽市・楽座
⑩座
⑪関所
⑫産業
⑭セミナリオ
⑮コレジオ
⑯南蛮寺
⑰ルイス=フロイス
⑱南蛮人
⑲紅毛人
⑳天下布武
❶花押
問い:
天下餅(五七五七七)→①がつき(悪い政策を取り壊す)②がこねし(完成させる)天下餅 ③くらうは徳川(見てるだけ)
豊臣秀吉の話
秀吉の名前は、鰤大根の鰤が大きさによってハマチになる、という雰囲気で、出世する度に名前が変わった。
母の④と父の⑤が結婚した。⑤は、農業が暇なときに足軽として戦に出たときにできた傷が悪化し病死したため、子供は産めなかった。その後④は⑥と再婚し、⑦(秀吉)を産んだ。
④は⑦が産まれたとき、
周りの人に猿のようだと言われたため、猿神が祀られている日吉大社から名前をとり、⑦にした
or
太陽にガンガン照らされ、溶けそうになった夢を見た
の、どちらかが名付けの理由である。
信長に仕えるようになると、⑧に改名した。人を笑わせるのが好きで、明るい。威張らない性格の⑧は意外と人気があり、当時美しくて賢いと人気だった⑨をゲット。
ちょっと手柄を立てると、また改名し、⑩になる。由来は、⑦を豪華にしたという説が有力だが、⑧、⑪、⑫、⑬の名前から一字ずつとった説もある。
当時の天皇は自ら料理するほど貧乏。そのため、信長や秀吉が度々お金を献上する。
そのとき秀吉はたくさん、パァー!っと献上。それを見た天皇、「豊かな家臣だなあ、よし、豊臣と名乗るがよい」。
→豊臣秀吉へ。
信長に最初に仕えたとき、任される仕事は⑭。信長が気分転換しようと庭に出るとき、サッと草履を石畳に出す。
ある冬、信長が草履を履いたらあたたかい!秀吉が懐に入れてあたためておいたらしい・・・、よき心遣い、ランクアップだ!
→秀吉は、工夫と努力で次々出世。
答え:
①織田
②羽柴
③座りしままに
④なか
⑤弥兵衛()
⑥築阿弥
⑦日吉丸
⑨寧々
⑩羽柴秀吉
⑪丹羽長秀
⑫柴田勝家
⑬明智光秀
⑭草履とり